「2001年の終わりを迎えて」
越年パーティのメッセージでは「戦」の年であったと云う言葉が良く聞かれましたが、それが個々には、どの様な形で表われたのか様々だと思います。
私にとっては、この年末「戦」の影響が私の軽い財布を直撃しました。「アフガンの子供達へ」「SCJのアフガン寄付」「クリスマス献金をアフガンに送ります。」等々。自分自身へのささやかな買物は、古くなったお気に入りのパンツに穴が開き、やむなく新しいのを買いました。
それでも何となく満たされた思いです。その事を思うと35年前に英国でホームスティをして学校に通っていた頃のことを思い出しました。ホームスティの家族は夫婦に娘2人(大学生・中学生)で500坪の敷地に3階建ての家があり豊かな家庭でした。彼等はユダヤ系イギリス人でクリスマスは原則的に彼等の行事では無いのですが、私に気を使って、クリスマスプレゼントの贈物はかかさず用意してくれました。自分達は南仏やポルトガルへの旅行に出かけていました。ところがある年、私を呼んで「正子、今年は私達は旅行を取り止め、この1ヵ月夕食も節約して、そのお金イスラエル建国の為に送金したいので理解して欲しい」と伝えました。
もちろんOK以外の返事は出来ず、それからは豊かだった夕食が「サンドイッチとスープ」「スパゲッティ」「チーズとパン」等、ほとんど一品か、二品の質素なものになりました。でも、彼等はそうして大志の為に心を一つにしたのです。私にとっては始めての経験でした。この事は私の生き方にも影響しているのかも知れません。
今の日本の環境とはあまりにもかけ離れた世界の現状に少なくとも関心だけは持って頂きたいと思います。
では、「2002年の初めを迎えてで又、お会いしましょう。」
「2002年の初めを迎えて」
例年のごとく、年末の仕事を、終えて、日本を飛び出しました。
ニユ−スでご存知のように、海外旅行者が少ないので、いつもの混雑に、出会わず
ラッキ−でした。
住む国が違うと受けるニュ−スも大違いで、テロリズムに関しても、こんな考え方
が、あるのかと、その多様性に驚きました。
バトルに集まったのは、
英国在住(中近東の友達のためになにも出来ないジレンマを持つ)
米国在住(世界最強の軍事力をもつ自国が世界最貧国を攻撃するジレンマを持つ)
日本在住(極楽トンボの枠からはみ出せず世界への貢献度も後手後手に周り評価
されないジレンマを持つ)
の面々で、私は意見は最小限度にして、聞く事で、自分自身の内面をグロ−バル化
することを選びました。
日本に帰って、又、日々変わらぬ生活が始まりましたが、今年は昨年のコスモス通信
で、新年の抱負に、書いたことを実行します。
自分自身(の人生)を大切に思うなら、その為の行動を一つでも二つでも、可能にす
る年で、あって欲しいとおもいます。
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